INTERVIEW
システム作りだけじゃない、
チーム作りも自分の役割。
TAKATOSHI
ITO
伊藤 隆寿
ITエンジニア プロジェクトマネージャー
工学部 情報電気電子学科 卒業
[拠点:浜松本社]
故郷から離れて働く中で「いずれ地元に帰る日が来るかもしれない」と考えている人は少なくないと思います。私も実家のある浜松に戻るなら今しかない、というタイミングで転職を決意しました。
しばらく経つうちに地元ではさまざまな仕事が生まれていて、前職と関連性の高い求人もすぐに見つかりました。そのうちの一案であったスズキに応募したのですが、採用されたのはまったく経験のない開発業務。2カ月後にリリースとなる ヨーロッパ版コネクテッドサービスのインテグレーターを任されました。
納期や品質との戦いの中で「トップダウンの3倍、ボトムアップの意見が生まれるチーム作り」への挑戦がスタート。メンバーが日々やりがいを感じられるチームという目標が、ようやく叶いつつあります。
PROFILE
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2022
6月 スズキ入社。コネクテッドシステムの開発部門に所属しながら、ヨーロッパ向けコネクテッドシステムの評価及び推進業務に携わる。
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2022
10月 コネクテッドセンターへ異動。その後企画開発課主幹として、コネクテッド・モビリティサービスの開発領域を取りまとめる。
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ゼロからのシステム開発、試行錯誤から正解を導く
私の部門では、クルマとつながる「スズキコネクト」のソフトウェア開発を担当。外部のパートナーを含めたチームで業務に当たっています。
ただし、ひと言で“開発”といっても幅広い業務が存在します。大きなところではDCM(コネクテッド専用の通信機)の開発ほか、品質管理から改善、テスト、セキュリティ機能の開発、法規対応まで。スズキコネクトをより安全で使いやすいサービスにするため、さまざまな経験と技術を集結して取り組んでいます。
コネクテッドサービス事業が立ち上がるまで、スズキにはコネクテッド分野の開発経験がなく、それゆえルールもプロセスも確立されていませんでした。エンドユーザーが使うアプリとシステム周りを自社で開発するという意味でも先鋭的な取り組みです。使用シーンを自分たちでイメージし、形のないものをゼロから作る。新しい取り組みだからこそ、1人ひとりの挑戦が尊重されます。
そんな私たちの合言葉は「まず、やってみよう」。プロジェクトマネージャーが「失敗しても大丈夫」という姿勢を貫くことで、安心してチャレンジできる環境を作れたらと考えています。
スズキコネクトの開発に携わっているチームメンバーは、20~30代の若手が中心です。自社の社員についてはスズキが1社目というメンバーも多いので、ここでの仕事を通じて開発のやりがいを感じてもらえたらうれしいです。
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スズキの仕事を通じて地元に貢献できるという期待
前職では、開発会社で車載機のソフトウェア開発に携わっていました。環境に恵まれて社歴も長くなりました。ただ、私も妻も実家が浜松にあり……将来を考えると「いずれは帰らないと」と考えるように。とくに私は、妻に恩返しをしたい気持ちもありました。結婚を機に縁もゆかりもなかった東京に来てくれたことに応え、家族で浜松に戻ろう、と。地元の転職先を探したんです。
前職で身に付けた技術の延長線上となる、車載通信機関連の仕事がいくつか見つかりました。スズキもそのうちの1社でしたが、面談では「サーバーやモバイルアプリの開発はできますか?」と聞かれました。正直に「(実務経験がないので)できないと思います」と伝えたのですが、なぜか内定をもらいまして(笑)。後から分かったのですが、ヨーロッパでのコネクテッドサービスのリリースを間近に控え、リーダー層のエンジニアが必要だったようです。
不安もありましたが、それでも私がスズキに決めたのは、“地元愛”に共鳴した部分が大きいです。とくに印象に残ったのが、「浜松自動運転やらまいかプロジェクト」を通じて、浜松の交通空白地において自動運転サービスの社会実装に取り組んでいること。私自身、公共交通の乏しい町に育ち、通学するのも遊ぶのも移動が大変だった経験があります。両親も高齢になれば、それこそ生活の足を失ってしまいます。
スズキの仕事を通じて、地元に貢献できる。しかも、そこで生まれた新サービスが、地元だけでなく全国や海外拠点でも人々の役に立つかもしれない。必要な技術はやりながら身に付けよう。そう考え、入社を決めました。
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現場の力を信じるチームマネジメントを
コネクテッドセンターに着任してきてまず、風通しのよいチームにしようと考えました。円滑な開発には、やはり「人」が大事だからです。開発のヒントは現場の担当者が握っていることも多くあります。
そこで、私が決めたのは「トップダウンの3倍、ボトムアップの意見が生まれるチーム」にすること。フラットな雰囲気づくりを大切にしました。そのために今でも続けているのが1on 1です。1人あたりの時間を長めに、チームを結成した当初は頻度も多めに実施していました。ほかにも工夫はありますが、一番効果的なのは、自分の弱みをさらけ出すことですね。最近は体の衰えを素直に打ち明けています(笑)。
一方で、リーダー層のメッセージは現場のやりがいに欠かせません。今、作っているシステムがどう使われるのか、今後の方針はどうなのかといったことを、きちんとメンバーに届けるようにしています。
コネクテッドセンターのメンバーに加わってから約2年が経ち、ようやくチームワークの土台ができてきました。「このツールを使うと開発が速いですよ」と教えあったり、インシデントも早めに報告をもらえたりします。これからは振り返りをして、開発として私たちが取り組むべきことを明確化していきたいです。そのようにチームの視野を少しずつ広げていき、よりよいコネクテッドサービスの実現に貢献していくことが目標です。
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地元へのUターンで家族の笑顔が増えました
東京で暮らしていた頃、子どもを連れて実家に帰れる機会は年に1度か2度でした。今は実家が近くなったことで、3世代が気軽に集まれるように。
子どもたちの笑顔を両親に見せられることが増え、家族の満足度も高まっています。※部署名、内容はインタビュー当時のものです。